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chocolate shot bar - 静凛と香るチョコレート

by 市境前12アール

ひっそりと佇む、「chocolate shot bar」という名前の、小さなショットバー。そこは、初老のバーテンダーが趣味で営む、小さな酒場。そんな、どこか個性的な酒場に通う常連客の、ほんの小さな物語たち。

「小説家になろう」「pixiv」から転載した、現代日本を舞台としたヒューマンドラマ風味の短編小説です。

小説家になろう版」は空行を適宜入れたWEB小説的な書き方、「pixiv版(要アカウント)」は縦書きでルビを振った書き方となっています。「小説家になろう」や「pixiv」にアカウントをお持ちの方はそちらもどうぞ。

ホームページ:【市境前12アールのごちゃっと置き場

 主な活動場所:【Twitter】【小説家になろう

とある地方都市の中心部から、いくつかの駅を隔てた住宅街の中にある、少し大きめな駅。その駅の近くの路地裏に、一つのバーがある。

 三階建ての雑居ビルの一階にある、小さな店。

 古びた木製の扉の横に、品書きが書かれた小さな黒板が椅子に座り、年季の入った吊り看板が風に揺れる。

 その店の名前は「chocolate shot bar」。たまに通りかかる会社帰りのサラリーマンが、その名前に、黒板に書かれた品書きの内容に、軽く首を傾げるような、そんな店。

 なにせ、黒板に書かれているのは、馴染み深い洋酒の名前に、ちょっとした小料理。なのに、その一番下には、本日のチョコレートなんて文字が踊っているのだから。その文字さえ無ければ、普通に客が入ってくるだろうにと。

 小じんまりとしながらも、どこか良い雰囲気を醸し出している、そんな店構え。

 そして、それは中に入っても変わらない。

 光量を抑えられた照明に、手入れの行き届いたカウンター。並べられた椅子の数は十に満たないような、そんなささやかな店。

 カウンターの向こうには、何十種類もの酒瓶が並べられた、小さな店には不釣り合いなほど大きな棚。軽く白いものが混じり始めた髪をオールバックにした、五十を過ぎたであろうバーテンダーが一人、客を出迎える。

 この雰囲気を好む常連客が、気まぐれに訪れ、程よく飲んで、話して、帰っていく、そんな小さな、酒と会話を楽しむための店。

 そして、看板に書かれた店名と、その個性的な店名に合わせるかのようにメニューに並んだ、何十種類にも及ぶチョコレートが特徴的な店。

 ここは、酒の肴にチョコレートを勧めることで、バーテンダーが常連客に軽く白い目で見られている、そんな酒場だった。

    ◇

「マスター、元気ー」

「いらっしゃいませ」

 入口の扉から聞こえるチリンという音。そのささやかな音をかき消すような明るい声と共に、一人の客が扉を開ける。

 仕事帰りであろう、スーツを着た若い女性。その女性を、バーテンダーは、静かな口調で迎え入れる。

「とりあえず、飲みやすいのよろしく」

 そう言って席につき、メニューを広げる女性。その様子を視界の脇に入れながら、バーテンダーは、タンブラーに氷を入れ、棚に並んだ瓶を手に取り、順に注いでいく。

 最初に注いだ琥珀色の液体は洋酒だろうか。次に注いだのは、同じく琥珀色をした液体。氷の隙間を液体が通り抜け、炭酸が泡を立てながら、二つの液体が混じり合う。

 最後にトングで軽く混ぜて出来上がったカクテル。そのカクテルを、バーテンダーは、酒肴を乗せた小皿と共に、カウンターの上に並べる。

「どうぞ。ブランデー・ジンジャーエールです」

「ありがと」

 礼を言って、メニューから視線を移した女性客は、カクテルと共に並べられた小皿に、軽く苦笑する。

「やっぱり、普通にチョコを出してくるよね」

「オランジェットです。見た目ほど甘くはないですよ」

 完全にチョコレートで覆われた、いかにも甘そうな菓子。それを見て、少し呆れた口調で話しかける女性客に、しれっと返ってくる菓子の説明。そんな、この店では普段通りの会話に、彼女は軽く肩をすくめる。

「砂糖漬けしたオレンジの皮をチョコで包んだお菓子です。甘さは控えめにして作っています。甘く作ったものもありますので、良ければそちらをお出ししますが」

「いいよ、とりあえずこれで」

 そう言って、まずはカクテルに口をつける女性客。口当たりの良いブランデーと、やや辛口のジンジャーエールが作り出す爽やかな口当たり。ビールやハイボールとはまた違った、辛さと甘さが調和した味に喉を潤しながら、隣に置かれた、見るからに甘そうな「おつまみ」に手を伸ばす。

 まずは少しだけ、軽く吟味するように口にいれる。口の中に広がる甘みと、オレンジピールとチョコレートの苦味を味わい、うん、そこそこかなと、彼女は一つ頷く。

「この位なら、ちょうどいい甘さかな」

 一緒に出された「おつまみ」に対して好意的な感想を口にしながら、何を頼もうかなと、メニューを眺める女性客。そうして、なんとなく目に付いたチョコレートの名前に、そういえばこんなのもあったっけと、懐かしい気分にひたる。

『山里チョコレート』

――国産メーカーのチョコレートをブレンドした、当店で最も人気のあるチョコレートです。どこか懐かしい、素朴な味わいを、是非ともお楽しみください――

 今ではこの店の「普通」に順応した彼女だが、初めてここに来た時は、色々と驚かされたものだ。このメニューもその一つ。他にも、色々と驚いたなぁと、その時のことを思い出して、少し笑う。

 そう、あれは三年前の冬、就職してそろそろ一年目になろうかという頃で……

(今日の親睦会、盛り上がり、イマイチだったなぁ)

 会社の飲み会の帰り道、軽く酔いながらも気分が乗らない、そんな、どこか中途半端な心を抱えながら、一人帰路につく静凛(しずり)。

 去年の四月に入社、三ヶ月の研修を終え、事務員として働き始めた静凛。一部上場の有名企業に入社し、給料がもらえればいいやなんて言いながらも、若々しい希望に満ちていたのも入社半年までのこと。

 最近は会社の風土にも染まり、規則にも慣れ、決められたことを淡々とこなしながら毎日が過ぎていく、そんな刺激のない日常。むしろ何事も起こらないように、なんて思うようになった、そんな頃合い。

 そんな中、新人だからという理由で、親睦会という、定期的に開催される飲み会の幹事役を任された彼女。居酒屋を予約し、会費を計算して集め、注文だなんだといいように使われて。下手に盛り上がって二次会ともなれば、半ば強制的に参加させられるという、面倒ばかりが目立つ、そんな役回り。

 それでも、一次会で解散なんていうのはどこか寂しいかなと、そんな真面目なことを考えながら、彼女は独り、会社が借りたアパートの一室に向かって、人通りの少ない夜道を歩く。

 そんな彼女の目に、ふと、今まで何度も通り過ぎてきた吊り下げ看板が目に入る。――「chocolate shot bar」と書かれた看板が。

(……どんな店なんだろ)

 最初の内は、ちょっとお洒落な飲み屋さんかなと、特に意識することもなく、そのまま通り過ぎていた、そんな程度だった店。――ある日ふと、店名と黒板に書かれた内容を結びつけて考えるまでは。

(スイーツバー? そんな雰囲気じゃなさそうだけどなぁ)

 バーの看板を掲げながらチョコレートをお勧めするという、その組み合わせに、小首をかしげる静凛。最近聞くようになった、お酒と甘いものを出すお店かな、なんて思いながらも、ちょっとこの雰囲気、女の子向けじゃないよね、なんて感想を抱き。

 そんな、少し気になりながらも、入るのにはどこかためらう、そんな店に。ちょっと寄っていこうかな、なんて酔った勢いで考えて。

 ええい、入っちゃえとばかりに、その店の方へと足を運ぶ。何気に立派な木製の扉に一瞬ためらいつつも、思い切って、入口の扉を開ける。

――店内に静かに鳴る、チリンという音。いらっしゃいませと迎える声が、店の奥から静かに聞こえる。

 やや暗めの照明に照らされた店内。カウンターと、その前に並べられた椅子。そして、その奥には、棚に向かいグラスを並べるバーテンダーの姿。

 白髪混じりの髪をオールバックに固めた、やや背の高い、痩身の男性。白いシャツに黒いベストを着こなした静かな佇まいに、静凛は思う。

(やば、なんかここ、違うっぽい)

 店内に漂う空気から、どこか自分の予想とは違う、そんな空気を感じ取った静凛。一歩踏み出してしまったその足に、迎え入れられた声に、軽く慌て。

 そして、棚からこちらの方に向きなおるバーテンダーの静かな所作に見惚れるように、一瞬立ち止まる。

「お好きな席へどうぞ」

 バーテンダーの声に、慌てて手近な椅子に座る。メニューを手に取り、その意外な重さと分厚さに戸惑いかけた彼女に、さらに声がかけられる。

「よろしければ何かお作りしますが。どのような物が好みでしょうか?」

「……とりあえず、飲みやすいのを」

「何か、お好みのお酒はありますか?」

「……特に無いかな」

「失礼しました。では、甘いのはお好みでしょうか?」

「……あんまり甘くないので」

 いつも通りなのだろう、慣れた様子で好みを聞き出すバーテンダーに、やや緊張した声で答える静凛。

 やがてバーテンダーは、その慣れた手つきで、一つのカクテルを作りだす。

「どうぞ。ブランデー・ホーセズ・ネックです」

「ありがと」

 礼を言い、そちらはサービスですという声に軽くうなずきながら、静凛はカウンターの上に置かれたカクテルと、隣に置かれた小皿を見る。レモンの皮が螺旋状に沈められた琥珀色のカクテルに、小さな、扇型に切られたプロセスチーズ。

 簡単な、それでいて、居酒屋チェーンではまずお目にかかれないような、そんな外見のカクテルに対し、なんの変哲もない、ふつうの「おつまみ」。そんな、ある意味ありきたりな組み合わせに、どこか納得のいかない表情で、カクテルに口をつける。――うん、美味しい。って、違う! そうじゃなくて!

「……えっと、表に書いてあった『今日のチョコレート』ですけど」

 意を決して、静凛は、表の黒板のことをバーテンダーに聞く。そう言えば今日のチョコレート、なんて書いてあったっけと、そんなことを思った彼女に、バーテンダーは言葉を返す。

「今日のチョコレートは、○○社のマダガスカル産カカオ100%になります。話の種にはなると思いますが、お出ししましょうか?」

 返ってきたその返事に、静凛は思う。――甘くないチョコレートが来ちゃったよ、と。

(意外と食べれるものね)

 ダメならちゃんと注文しようなんて思いつつも、話のタネにひとかけらだけと、バーテンダーにお願いをした静凛。あっさりと、わかりました、お気に召さないようならお代は結構ですのでなんて返ってきた言葉に、こんな商売っ気が無くて、この店大丈夫かなと思いつつ。そのひとかけらを口にした彼女は、口の中で転がし、噛みしめ、思いのほか苦くなかったその味に、少し拍子抜けする。

(苦いにはちがいないけど、こう……)

 何か予想しなかった味。何かよくわからない味。覚悟していた苦さはさほどでは無く、かといって甘くも無い、何か判別しがたいような味に、飲み込んだ後、無意識のうちにカクテルを求めて手を動かす。そのことに後から気付いて。そのまま手を伸ばして、琥珀色のカクテルに、一口だけ口をつける。そうして、後味を洗い流して、――口の中から消えた存在感に、消えた後味が、心に染みを残す。

 なんだろう。釈然としない。美味しかったかと言えば、違う。確かに思ったよりは苦くなかったけどと、そこまで考えて、ふと気付く。どんな味だったか、全く覚えていないことに。

 軽く悔いを残しながら、空になった小皿の横、未だ半分以上残っている琥珀色のカクテルを眺める。なんであそこでカクテルなんか飲んじゃったのよ、どんな味かわからなくなったじゃない、と。

「このチョコレート、一つ頂戴」

 迷うことなく、今度はちゃんと注文して。どうぞ、という声と共にテーブルに置かれた、チョコレートが盛り付けられた小皿を見る。

(思ったよりも少ないかな)

 小皿には、一口サイズの大きさのチョコレートが四つ。これじゃあ少なく感じるのも当たり前よね。けど、カカオ100%が沢山あっても困るし、このくらいが丁度いいのかな。よし、今度はちゃんと味も見ようと、まずはひとかけら、チョコレートをつまみ上げて、口の中へと運ぶ。

 口の中で溶けはじめたチョコレートからまず感じるのは、穏やかな苦味。あと、チョコレートのイメージとはあまり結びつかない、えっと、軽い酸味?

 酸っぱいわけじゃない、けど、結構強い酸味がある、そんなことを思っている間に、酸味と共に、口の中のチョコレートは溶けて無くなり、ほのかな酸味と、それに隠れていたかのような強い苦みが残る。

 少しだけ、その余韻の味を確かめた後、一度口の中をすっきりさせようと、カクテルに手を伸ばす。炭酸と爽やかな甘さが、口の中の後味を洗い流す。

 そうして口の中がすっきりしたところで、二個目のチョコレートを口の中に入れる。再び広がる苦味と酸味、だけど、その味がどこか甘いことに気付く。

 けどなんだろう、この甘さ。今までチョコレートから感じたことのないほのかな甘さに、軽く戸惑いを覚える。

「どうでしょうか、チョコレートのお味は?」

 口の中のチョコレートが無くなって、もう一度カクテルで喉を潤して。

「うーん、どうかなあ、これ。難しいよ。……ちょっとこの味は想像してなかったかな」

 マスターの問いかけに、感じたことを正直に伝える。小さな欠片を三つ、それでも味がはっきりしない。どう例えて良いかわからない。

「そうですか。でも、しっかりとチョコレートの味はしてるでしょう?」

「そうかなぁ」

 バーテンダーの声に、さらにひとかけら、チョコレートを口の中に入れる。確かに口当たりはチョコレートなんだけど。こう、なんて言えばいいんだろうって、あれ?

 えっと、なんだろう。言われてみればこの味、チョコレート以外に例えようがない。っていうか、チョコレートよ、間違いなく。

 苦いのに苦くなくて、馴染みのない酸味があって、甘さがあって。今まで食べたことのない味、それでもなぜか、この上なくチョコレートの味がしてる、そんな不思議な感覚。

 ああ、わかった。この味は、そうだ。――すごくクセになる味なんだ。

    ◇

 やがて静凛は、一つくらいは純粋に、この変わったチョコレートを楽しもうと、そんなことを思いながら、最後のチョコレートに手を伸ばす。

 細く柔らかい指先が、チョコレートをつまみ上げ、落ち着いた控えめな口紅の奥へと運ぶ。やがて、口いっぱいに広がる味に、楽し気な、どこか無邪気な表情がこぼれる。

 それは、まるで甘さを抑えたチョコレートのよう。とろかすような甘さはない、それでもどこか惹かれるような、そんな表情だった。

    ◇

「やっほー、マスター! ……おや、新顔さん?」

 チリンという音と共に聞こえてきた、常連さんらしき女性の声に、入り口に立つ一組の男女へと目を向ける。

 陽気そうな年上のお姉さんと、もの静かそうな、これまた年上っぽい男の人。カップルかな、でも夫婦じゃなさそう、そんなことを思いながら見ていると、視線に気づいたのだろう、お姉さんが軽く手を振りながら、声をかけてくる。

「ああ、ごめんごめん、気にしないで。……私、カフェ・ロワイヤルに、この前のチョコ一つね」

「俺は、そうだな、ブランデーをロック、あとはいつもの『山里』で」

 そのまま、二つ隣の席に座って、気安く注文するお姉さんとお兄さんに、かしこまりましたというバーテンダーの声。それらを聞き流して、メニューを広げる。

 並んだカクテルの名前と簡単な説明文を読みつつ、次はどうしよっかな、なんて思い始めたところで、視界の端でふと、光が揺れていることに気付く。

 気になって隣の方を見る。その視線の先には、どうぞと言いながら、コーヒーカップをテーブルの上に置くバーテンダーの姿。――その、コーヒーカップの上に置かれたスプーンから、ちらちらと炎が踊る光景に、目を奪われる。

「カフェ・ロワイヤルは、コーヒーの角砂糖にブランデーをしみ込ませて、火をつけてからお出しすると、そんなカクテルです」

 多分、私に説明してくれているであろう声もそのままに。どこか幻想的な光景に見とれながら。やがて、お姉さんが、その角砂糖が乗ったスプーンを持ち上げた所で、我に返り、はたと気付く。――それって、カクテルじゃなくて、ただのコーヒーなんじゃないの、と。

 そんな疑問も、バーテンダーが次に出してきたチョコレートを見て、綺麗に吹き飛ぶことになる。なにせ……

「どうぞ、『山里チョコレート』です」

 ……そんな言葉と共に、バーテンダーがテーブルの上に置いたチョコレートは、「きのこ」と「たけのこ」の形をした、物凄く有名なものだったのだから。

 その後に続いたバーテンダーの説明は、もう、この人、どこまで本気なんだろうと疑うような、そんな内容だった。

 国内で人気の二種類のチョコレートをブレンドしましたって、単に同じ皿に盛り付けただけじゃない!

 どこか懐かしい、素朴な味わいって、そりゃあ確かに、小さい頃から食べ慣れた味だけどね⁉︎

 一番人気の品ですって、ホントなの? チョコにこだわりのある店じゃないの、ここ⁉︎

 大体、なんでこの人、こんなことを真顔で説明してるの? 真面目にふざけてるよね、この人!

「あー、このマスター、いつもこんなんだから。まともに受け取らない方がいいよ」

 横からかけられるお姉さんの声に納得しかけて、……けど、あれ、このお姉さん、実はコーヒーを飲みに来ただけだよね、多分。その隣のお兄さんは、時折グラスを揺らし、傾けながら、美味しそうに山里チョコレートをつまんでるし。

 なんか、バーテンダーも、お客さんも、みんな自由だよ、この店!

「そんなことよりもさ、そっちのおつまみ、無くなってるよね。これ、試しに、どう?」

 そんなことを言いながら、自分のチョコレートをすすめてくるお姉さん。……さっきのチョコのせいかな? ちょっと興味があるよねと、隣の席に移動して、ひとかけら貰う。うーん、甘い!

 これだけだとわかりにくいよね、そう言いながら、隣の「山里」を取ってくれるお姉さん。そのお姉さんの行動に、どこか、衝撃を受けたような、悲しいような、そんな表情を浮かべたお兄さん。そんなに衝撃的なことかな、これ。――もしかしてこのお兄さん、結構、ケチ?

 そんな、よくわからないけどやたら残念そうな表情を浮かべるお兄さんを横目に、「山里」を一つ、口の中に入れる。うん、普通のチョコだ、当たり前だけど。これに比べると、さっきのはこう、もうちょっと爽やかな味だったかなと、そうお姉さんに伝える。

 えっ、これ、デパートに並んでるの? 山里と同じメーカー? 嘘? あんまり売れてないんだ、美味しいのにと、そんなチョコレート談義が始まり、……気が付いた頃には、お兄さんとも打ち解けて、世間話に花を咲かせていた。

    ◇

 小一時間ほどたって、もうそろそろお開きにしよっか、なんて言って店を出て、二人とさよならして。家の方へと足を向けながら、少し考える。

(ルール、かぁ)

 店を出る直前に口に出した、会社の愚痴。ルールがどうとか、風習がとか、そんなことをついこぼした私に、バーテンダーが言った言葉。ルールと言っていいものかはわかりませんが、当店にも、こうありたいと思うものはありますよ、という言葉が、妙に心に残っているのを自覚する。

(会話と居心地の良さ、かぁ。自由にやってるようにしか見えないんだけどなぁ)

 かなり独特なメニューの店だったけど、こうした方が売れるんじゃないか、なんて考えることもそれなりにあるみたい。だけど、お客さんに満足してもらえなければ意味が無い。だから、「会話」や「居心地の良さ」を損なわないか、常に考える。それが、マスターの中にある「ルール」なんだって。

(会社のルールにもきっと、理由があるんだから、その意味を考えてみてはどうかって、そう言われても、ねぇ)

 どうなんだろう、そりゃ理由はあるんだろうけど、だけどねぇと、そんなことを考えながら、街灯もまばらな、薄暗い道を一人で歩く。

――静凛が店に入る前に抱えていた、どこか疲れた気分は、自身でも気付かない内に、綺麗に無くなっていた。

……メニューに書かれた「山里チョコレート」の説明を眺めながら、ぼんやりと過去に思いを馳せていた静凛。その記憶に、何かが引っかかったのだろう。顔を上げ、マスターに文句を言う。

「……やっぱりね、マスターは趣味でこの店をやってるから言えることだと思うよ」

 全く、あの時は酔ってたわ、なんでこの店にもルールがあるなんてたわごとを信じちゃったのよ、自分ルールの塊みたいな店なのにと、ひとつため息をつく静凛。そんな彼女の態度にも、悠然とした所作を崩さずに、静かに返事をするマスター。

「そうですね。私が趣味でこの店を開いていることは、否定できません」

 突然文句を言われながらも、そのことを気にかけず、さらりと肯定するような余裕のある返事。そのマスターの態度に、静凛は少し笑う。

 マスターがこの店を開いたのはだいたい二十年くらい前。それまで高価だった良質な洋酒の値段も下がり、安くなった洋酒を気軽に飲むための店も多く開店した、そんな時代。

 ウィスキーやブランデーのような、度数の高い蒸留酒には、甘いものも合う。ただ、酒好きの人を辛党と呼ぶくらい、酒好きな人は辛いものを好むというイメージが当時から定着していて、未だにそれは続いている。

 マスターはただ、洋酒を気軽に飲めて、酒によく合う甘いものを店で出そうとした。だから、店の名前が「chocolate shot bar」になり、おすすめが「山里チョコレート」という、気軽につまめるお菓子になったと、たったそれだけの話。

 静凛にも、マスターが気軽に会話を楽しめる店にしようとした結果、今のような店になったと、なんとなくだが理解している。それがある意味、マスターにとってのルールであり、理由なのだということも。でも、それって建前だよねと、静凛はマスターへ、もの言いたげな目を向ける。

「やっぱりさ、マスター、単にチョコレートが好きなだけよね」

「そうですね。普通、好きでもないものをおすすめはしないでしょう」

 結局、口に出してものを言った静凛に、当然のように返ってくる返事。まったく、会話だ居心地の良さだなんて立派なことを言ったところで、この人の本音は、単に自分がチョコレート好きで、客にも薦めたいだけなんだよねと、静凛はそう確信する。――なにせ、マスターにおつまみをお任せして甘くない物が出てきたのは、初めてこの店に入ったときの一度きりなのだから。

(最近増えてきた本格的なチョコレート、ビーン・トゥ・バーって言うんだっけ? メニューにどんどん追加されてくし。いつまでこの路線で行く気なんだろう?)

 三年前、初めてこの店に入った頃はまだ珍しかった、今までの高級志向とは少し違う、カカオの味を出来るだけ生かしたチョコレート。

 値段的に手を出しやすいからだろうか、この三年間でさらに増えたチョコレートのメニューを眺めながら、静凛は呆れたようにため息をつく。――あの頃ですら、結構な種類があったと思うんだけどなぁ、と。

(これで、当店にもルールはありますよ、と言われてもねぇ。本当、好き放題やってるよね)

 まあでも、ここはマスターの店だしと、メニューのページをめくる静凛の耳に、入口の方から、微かな鈴の音と扉を開ける音、――そして、既に出来上がった感のある、女性の声が聞こえてくる。

「よっしゃぁ、今日は飲むぞーって、しずりんがいる! 元気―?」

「いやお前、もう飲むな」

「いらっしゃいませ。カフェ・ロワイヤルで良かったですか」

「そりゃただのコーヒーや! 今日は飲むんじゃー!」

 初めて来たときに知り合ったお姉さんとお兄さんが、騒々しく隣に座るのをどこか心地よく感じながら、静凛は思う。初めてこの店を訪れてからはや三年。会社で、訳も分からず守っていたルールも、その意味が少しずつわかるようになって――ばかばかしいと思うことも多くなって――、当時は売れていなかったあの美味しいチョコレートが今や大人気のチョコレートになって、この店で扱うチョコレートも少しづつ変わっていって。それでも、ここの居心地の良さは変わらないなぁと。

「マスター、私もカフェ・ロワイヤルで」

「しずりん!? 私もって何? 私『も』って」

 隣の女性客に半ばからまれながら、どこか楽しそうに、静凛は次の飲み物を注文する。例えこの店の雰囲気が、単にマスターの趣味と自分ルールが色濃く反映された結果だとしても、その自由さが、この居心地の良さを生み出しているんだろうなあと、そんなことを思いながら。

    ◇

 とある住宅街の、少し大きめな駅の近くに、一つのバーがある。

 雑居ビルの一階にある、「chocolate shot bar」という、小さな店。

 馴染みの常連客に愛されたその店では、甘党のマスターと、様々なお酒、そして、看板にも掲げられたチョコレートが、お客さまのご来店をお待ちしています。

――貴方も一度、立ち寄られてみては如何でしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございます。

基本的に私は、以下の場所で創作活動やその他趣味等の情報発信を行っています。

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